岩山 (いわやま (城山じょうやま 広島県呉市郷原
 標高420m  3等三角点
 位置→ 焼山の東側13 (郷原)
   
火の用心とある 岩山  (国道375号線からこの風景が望まれます 山頂付近の「火の用心」 
   
                   山頂の表示板
 岩山(海抜402.6m(呉市HP標高420mは黒瀬川が運んだ土砂でできた平地(海抜150m)に接し270mの高さにそそり立つ花こう岩の岩山で頂上からの展望は非常に優れています。
 戦国時代、東西条(現在の東広島市西条町周辺地域…
呉浦も含む)を支配していた戦国大名 大内氏の南部防衛の拠点となる城がこの山にありました。
 当時勢力を伸ばしてきた毛利元就が天文23(1554)年、総勢2,000人による猛攻撃を加え、激しい合戦の末、城主 岩見源之亟
(いわみげんのじょう)は討たれ、岩山城はついに落城した。
 以前本丸のあった山頂からは黒くなった米や麦、ソバ等が出土したといいます。しかし第二次世界大戦の時、砲台を山頂に設置したため、今は井戸や石垣を残すのみとなりました。

                  呉市教育委員会 (昭和55(1980)年10月1日指定)
岩山の山頂 (近くに三等三角点がある)
  岩山(城山)の山頂近くの壁面に縦18m横5mにわたって書かれている「火の用心」、平成28年(2016)9月25日に塗り替えが行われました。郷原町を考える会のメンバーを中心に、自治会、まちづくり関係者、消防団や郷原中学校の生徒、計80人が参加しました。
文字は旧郷原村時代の昭和14年(1939年)、地元の警防団長により書かれたもので、昭和40年(1965年)に地元有志、昭和62年(1987年)に「郷原町を考える会」により本格的に補修され、今回29年ぶりに塗替えられた もので、地域の防災意識の高揚に大いに寄与しています。
         「ふれあいと緑のふるさと郷原町」 参考
 
 
  国道375号線を呉市広町から東広島に向かう途中
(郷原)…頂上部に「火の用心」と書かれた山が見えてきます。この岩山は急斜面ですが山頂までの歩道は確保されており、黒瀬盆地や加茂台地、南には野呂山、灰ヶ峰、瀬戸内海など展望できます。
 山頂には岩山城(岩見源之烝)の本丸跡が見られます。また稜線には石土塁(石垣跡)や北に馬洗場跡も見学できる。天文23年(西暦1554年) 毛利軍により落城したと記録されている

               
続・ふるさとの山歩き参考

 眺め   山頂から黒瀬方面を望む (右は黒瀬川          山頂から撮影 (Netから)
 
  
 岩山はその名のとおり標高420mの岩の山で、急斜面にそそり立っている岩峰です。その雄大な山姿は郷原のシンボルで、呉市の名勝になっています。室町時代に黒瀬郷領主の新居氏が郷原氏と名乗り岩山に山城を築いたと云われ、戦国時代には大内氏の東西条進軍により、岩山城は東西城最後の拠点となり、天文23年(1554年)岩山の合戦で最後の城主大内方の岩見源之丞は毛利軍に攻撃され、岩山城は落城しました。頂上には今も、本丸・郭・井戸・石垣などの史跡が残っています。頂上からの展望は絶景で、西城盆地、広島湾の瀬戸内海を一望できます。

                                「ふれあいと緑のふるさと郷原町」 参考
 
  近くの見どころ (^^♪ 
郷原に鎮座する 新堂平神社(しんどうひらじんじゃ) と 呉市天然記念物の シイノキ    
 

 新堂平神社の社叢の中でもっとも古い木に巨大なシイノキがあります。周囲6m、高さ21mの巨木です。
 「芸藩通志巻三」に、このシイノキについて「郷原村」にあり、永禄三年庚申、勧要請」と記されて
います。永禄3年は1560年にあたり、樹齢は約460年ということになります。  
呉市ホームページ 

 
STS(里山探検整備隊)  
 
TOP
岩山