発喜山 (ほっきさん)  広島市安芸区矢野
 標高476m 
  位置→ 矢野三山  矢野周辺の山々2  矢野城海の備え
 
 南北の二つのピークがある 発喜山  矢野中学校から見た 矢野三山)    netから影  

 
矢野三山の中峰で発喜山は二つのピークがあり、北ピークは室町時代に矢野、吉浦、焼山を中心に治めた野間氏の矢野城(保木城)で野間神社もあります。南ピークは10分ほどで南ピークに至るが気づかずに通過しがちの山です。
 野間氏は五代110年間にわたり領地を平安に治め文化経済を発展させたが、1555年に毛利に滅ぼされた。              矢野三山たんけんマップ参考
 
 近くの見どころ (^^♪ 
矢野城跡 五輪の墓 
 
 
矢野城址、野間神社
 絵下山山頂から北方向へ下ると発喜山があり、ここに建武2年(1335年)に熊谷蓮覚によって築城されたのが矢野城である。絵下山を後方の守り、西側は明神山の尾根に続く茶臼山を守りとして機能していた。また山陽道にも近く、広島湾の船の動きを監視できる要地でもあったため、この場所に築城されたと考えられる。
 1335年に熊谷氏は落城し、熊谷蓮覚の死後の詳細については不明であるが、約100年後、文安2年(1445年)足利よ義政により所領を与えられて尾張国野間荘より野間重能が矢野城に入る。その後野間興勝、野間隆実の時代を経て厳島の戦いで陶晴賢側につくが、1555年、毛利元就の調略によって降伏する。 ウイキペヂィア

 
矢野城跡について

 ▼広島県史跡。史跡碑と野間氏の墓石がある。▼城の遺構はこのあたりから発喜山頂上周辺まで点々と残る。
 南北朝時代(14世紀)、広島の豪族のほとんどは北朝に味方したが、熊谷蓮覚は少数で矢野城に籠りこれに対抗。大軍を相手に4日間を持ち堪えたが、ついには全滅した。▼220年後(16世紀)、時の矢野城主・野間隆実は毛利元就の謀略におち、非業の最期を遂げた。「野間火」という火の玉伝説がある。           
矢野三山たんけんマップ                      

 STS(里山探検整備隊)  
 
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