絵下山(えげさん)絵下頭(えげがしら)  広島県安芸区                      
 東側ピーク(絵下頭)標高593m 西側ピーク(絵下山)標高559.4m   4等三角点(西側ピーク) 
  位置→ 矢野三山  矢野周辺の山々1
 
矢野側 からの風景 (矢野三山の雪景色)      
観音山から見る風景       観音山から撮影

 
絵下山には二つのピークがあり、西側ピークは通称 絵下山と呼ばれ、117mのデジタル塔や頂上広場(駐車場)があって広島、宮島、江田島などが望め、4等三角点があります。 東側ピークは、最高地点
絵下頭で、「天狗岩」 などの巨岩があり、本庄水源池、灰ヶ峰、野呂山などが望めます。
  
 (矢野三山たんけんマップ参考)
  
絵下山の山頂 
絵下頭 の天狗岩   ( 東側 ピーク の絵下頭山頂 )  デジタル塔 絵下頭から撮影 (ネットから) 

  絵下山の名前は師僧のもとで修業する僧の意味の「会下」に由来しているといわれています。地元では絵下山のピークを絵下頭(えげがしら)、デジタル塔側を絵下山と呼び、発喜山・明神山と合わせて「矢野三山」と呼ばれています。矢野三山の一つである発喜山には広島湾東沿岸一帯を領国とした野間氏ゆかりの矢野城址、野間神社のある発喜城址があり、落城の悲話に「火の玉」伝説などを残しています。
                               (あきく魅力探検隊参考)
 
  眺め   絵下山から見る夕日   左は江田島、中央遠くは厳島(宮島)、右は広島方面  netから 
 近くの見どころ (^^♪ 
   
 矢野城址 (発喜山) 野間神社 (発喜山)

 矢野城址、野間神社  
 絵下山山頂から北方向へ下ると発喜山があり、ここに建武2年(1335年)に熊谷蓮覚によって築城されたのが矢野城である。絵下山を後方の守り、西側は明神山の尾根に続く茶臼山を守りとして機能していた。また山陽道にも近く、広島湾の船の動きを監視できる要地でもあったため、この場所に築城されたと考えられる。

 1335年に熊谷氏は落城し、熊谷蓮覚の死後の詳細については不明であるが、約100年後、文安2年(1445年)足利よ義政により所領を与えられて尾張国野間荘より野間重能が矢野城に入る。その後野間興勝、野間隆実の時代を経て厳島の戦いで陶晴賢側につくが、1555年、毛利元就の調略によって降伏する。
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 STS(里山探検整備隊)  
 
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