| 城山 (じょうやま)、嵩山(たけやま) 広島県安芸郡海田町 & 熊野町 | ||||||||||
| 標高592.8m 3等三角点 | ||||||||||
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| 熊野町から見る 城山 熊野町城之堀から撮影 | ||||||||||
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| 海田町から見る 城山 日浦山(広島)から撮影 (インターネットから取得) | ||||||||||
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| 山頂の風景 (展望なし) netから | ||||||||||
城山は海田町と熊野町の境界に位置し金ヶ灯篭山~坂山へと連なる長大な鉾取山系(安芸アルプス)の南から2番目の山になります。 展望は大岩展望地があるもののあまり望めませんが歩きやすい登山道で森林浴も楽しめるコースです。 城山山頂に嵩山城(たけやまじょう)が築かれていたが(築城年代は定かではない)城主は菅田豊後守と伝えられていて、1550年頃に毛利元就によって落城し滅ぼされた。天然の要害を利用した小規模な山城で北に古峠(ふるたお)南に赤穂峠があり、熊野と海田の重要な交通路を管理できる山城であったという。 熊野町文化財のしおり |
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嵩山城跡 (たけやまじょうし) 嵩山は現在の城山と呼ばれている山で、山城はこの頂上に本丸を中心として、東西に多数の郭を直線状に配置した山城です。芸藩通誌に「嵩山(たけやま)、熊野村にあり、菅田豊後所居、山麓にまた城濠の地あり、「出丸にてもあらんか、里人、堀が城とよぶ」 とあり、また光教坊の縁起の中に菅田豊後守の菩提寺である、という記述があることから、山城の城主は菅田豊後守として間違いないと考えられています。しかし菅田豊後守について、出身や時代について詳しいことはまだわかっていません。 熊野町文化財のしおり |
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堀之城跡 (ほりのじょうし) 所在地 : 安芸郡熊野町城之堀 (現在の住所と反対なのがおもしろい)城山(嵩山)からは南麓の出丸(集落)を見下ろす位置にあり、芸藩通誌に「嵩山城の出丸にてもあらんか」と紹介されています。城郭は、本丸から南に向けて直線状に4 ~ 5の郭が並び、現在は掘切が2ヶ所残り、農道として利用されています。しかし、昭和の初め本丸の井戸跡を開墾で埋めてしまったことや、昭和55年に北部農道工事のため本丸を2/3削り取ってしまったのは残念なことです。付近には堀之池、堀、上ノ土居など、城に関係があると思われる地名や、落ち矢、ヤヤズ等の合戦の伝説に由来する地名が多く残っており、在りし日の山城の姿をしのぶことができます。 熊野町文化財のしおり |
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| STS(里山探検整備隊) | ||||||||||