| 早瀬砲台山(はやせほうだいやま)広島県呉市音戸町 | |
| 標高331.2m | |
| 位置→ ⑦くれ南方の山々(倉橋島)★7 音戸〜早瀬縦走 | |
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| 早瀬砲台山 (実際は山の向こうになります) 左方向海側 早瀬大橋です 写真ネット参考 | |
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| 早瀬大橋 と 早瀬砲台山 左上 (山の向こう砲台山があります) |
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| 左上端 の三角山が瀬戸島山 中央小山は早瀬砲台山 手前は 早瀬大橋 (倉橋島風景を 能美島から撮影) netから |
早瀬砲台山 & 毘沙門堂の 登山口 (流田バス停前…ここから山道を登下山) |
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広島湾要塞の計画は、明治初年度から始まったもので、敵艦隊が本土に侵攻した際に、天然の良港である広島湾に商船を避難させ守ることが目的でした。そのために、出入口となる4つの瀬戸を砲台と機雷で封鎖するというものです。明治9年フランス軍参謀ミュニュー中佐が「日本国南部海岸防御方案」を提出、これにより要塞築城が決定しました。明治10年に西南戦争が勃発し一旦棚上げとなりましたが、翌年7月には海岸防御取り調べ委員会が発足し重要な海峡の調査が始まりました。 |
| 頂上付近にある 早瀬砲台山にある 毘沙門堂 この近くに砲台跡があります |
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| 明治22年に呉鎮守府が開庁し、6年後に日清戦争を経て、その後ロシアとの不穏な国交が発生、明治31(1898)年2月を境に呉港へのバルチック艦
隊進入を防ぐため、広島湾の砲台建設が始まったと言われています。広島湾要塞は13箇所、その一つが早瀬砲台山です。この施設は第一砲台、第二砲台、監視所弾薬庫そして兵舎炊事場所等を備えていました。工法もきれいに揃った花崗岩とレンガが使用されています。。軍施設だからこそ当時の土木、建設の先端技術を駆使し最上の材料で作られたのでしょうか。保存状態も良好です。 |
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| ↓ 近くの見どころ (^^♪ | |
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| 砲台跡 頂上付近に当時のままの兵舎が残っています | |
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| 花崗岩の立派なブロック兵舎です | |
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| 砲坐高漂高二百九十二米六十? 知(センチ) | 弾薬庫跡でしょうか |
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| 早瀬砲台山指揮所と思われる | |
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| 早瀬大橋 | |
| STS(里山探検整備隊) | |